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山中節のご紹介
山中節とは
山中節の舞イメージ

  全国の民謡の中でも、生粋の温泉民謡として知られる山中節は、元々は、歌詞や曲の長さに定型がなく、当時は山中温泉の周辺の農村などで歌われた土着的な歌であった。
  しかし、いつの頃かお座敷で唄われるようになったが、それでも定型的なものはなく、曲の長さもまちまちであったという。
  それを、昭和初期に、初代米八が1節の三味線の長さを4分の4拍子で13小節で終わるように定め、正調山中節の定型が完成したと言われています。
  初代米八は、その山中節を唄ううえでのポイントとして、「抑揚にこだわると歌詞がはっきりせず、歌詞をはっきりさせようとすると抑揚が伴わず、その辺の調和がミソです。
  要は温泉情緒たっぷりの抑揚で、歌詞がよく分かるように唄うことです。」と語っています。

山中節の由来
山中節のイメージ

  昔、山中温泉のお客様の大半は附近の船頭さん達で、古い唄に「山が赤なる木の葉が落ちるやがて船頭衆がござるやら」にもあるとおり、春から秋にかけて北海道附近に出稼ぎしていた船頭さん達が冬が近づくと家に帰り、一年の苦労を癒すため、この山中に来てゆっくりと湯治したのです。
  この人達は、山中に来れば少なくとも1週間、長い人は1ヶ月も滞在して湯に入り、体を休めるのが何よりの楽しみだったのです。
そこで、のんびりした気持ちで出稼ぎ中に習い覚えた江差や松前の追分をお湯の中で唄い、それを外で聞いていた「浴衣娘(ユカタベー)」達が聞き惚れて、山中訛でまねをしたため、何時とはなしにこうした唄となり昔は“湯座屋節”とも言ったそうで、古くは元禄の頃より唄っていたものだそうです。   こうしてお湯の中から生まれた山中節こそが生粋の温泉民謡なのであります。

山中節 歌詞

忘れしゃんすな山中道を
東ゃ松山西ゃ薬師

山が高うて山中見えぬ
山中恋しや山にくや

送りましょうか送られましょうか
せめて二天の橋までも

薬師山から湯座屋をみれば
シシが髪結て身をやつす

薬師山から清水を見れば
シシが水吸むほどのよさ

桂清水で手拭ひろた
これも山中湯の流れ

桂地蔵さんにゃわしゃ恥ずかしい
別れ涙の顔見せた

お前見染めた去年の五月
五月菖蒲の湯の中で

飛んで行きたやこおろぎの茶屋
恋のかけ橋二人連れ

谷にゃ水音峯には嵐
あいの山中湯の匂い

浴衣肩にかけ戸板にもたれ
足でろの字をかくわいな

山が赤なる木の葉が落ちる
やがて船頭衆がござるやら

笠を忘れて二天の橋で
西が曇れば思い出す

恋のしがらみかわいやおつる
泣いて別れた二天橋

月が出ましたこおろぎ橋に
流す浮名の影法師

今宵もこぬかと月黒谷の
ぐちを岩間の水の音

関のお山に泣くほととぎす
ひとり宵ねのしゃくのたね

お前ゆえならわしゃ黒谷の
荒い流れもいとやせぬ

ゆうべ習うた山中節も
今朝は別れの唄となる

加賀の山中おそろしところ
山の夜中にシシが出る

鉄砲かついで来た山中で
シシもうたずにから戻り

シシもうたずにから手で戻る
後姿を送るシシ

病なおしの山中なれど
病もとめた人もある

山中、山代、粟津の湯でも
ほれた病はなおりゃせぬ

一夜あえても二夜会えぬ
旅のお方は罪深い

山のあいから恥ずかしそうに
そっと顔出す小富士山

恋の山中浮気な粟津
中の谷寺木をもみじ

山中節 譜面
山中節譜面